本證寺

 

(ほんしょうじ)

【古代・中世】

安城市野寺町に所在する真宗大谷派寺院。三河三か寺の一つとして知られ、三河一向一揆の重要拠点の一つとして著名である。開基慶円は三河和田円善の系譜をひくとみられ、またその兄は如意寺蔵親鸞絵伝の添書にその名がある富田の性善房ともいわれる。本證寺蔵の慶円木像は貞和3(1347)年の造立で、また聖徳太子絵伝、法然絵伝、聖徳太子木像等も所蔵する。戦国時代には三河のみならず、尾張・美濃に至るまで勢力を広げていた。市域では野口(後の増慶寺 野口町)、若林(後の淨照寺 若林西町)、上野(後の浄願寺 上郷町)など11か所ほどが見出される。なかでも上野の祐心は天文18(1550)年に本證寺の名代として大坂本願寺で番衆役を勤めたことが知られる。近江堅田慈敬寺より住職として入寺し、三河一向一揆を戦った本證寺空誓は敗北後、足助地区の山中(新盛町)に潜んだという伝承がある。近隣の本證寺門徒が支援したとも伝えられている。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻428ページ

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