(ませいせきふ)
【考古】
縄文時代~弥生時代中期にかけて用いられた器面全体に研磨が施されている石斧。木製の柄の先端に装着して用いられ、大型で両刃のものは樹木等の伐採斧、中・小型のものは木製品の加工斧であったとみられる。縄文時代草創期の松平地区酒呑ジュリンナ遺跡や上郷地区川原遺跡からは、断面三角形で片刃の局部磨製石斧が出土している。刃部のみが研磨されているため、木製品の加工や動物の解体用に使われたと考えられる。器面全体が磨製の石斧には、側面に面をもつ定角式の石斧と断面が円形あるいは楕円形をした乳房状石斧あるいは遠州型石斧とよばれる非定角式の石斧がある。いずれも市域では縄文時代前期からみられ、緑色岩や蛇紋岩・砂岩で作られた定角式の磨製石斧は中期後半~後期に多い(写真右:藤岡地区水汲遺跡)。一方、玄武岩などの塩基性岩を石材とする非定角式は後・晩期に多くみられるようになる(写真左:下山地区小松野町宮下遺跡)。稲武地区小田木町の仲平遺跡周辺で採集された定角式磨製石斧関連資料は側面に擦切痕が残る小型の未製品とみられ、大型の製品から擦り切りによって切断分割されたことがわかる貴重な資料となっている。弥生時代に入ると、中期の川原遺跡出土事例のように、稲作農耕文化とともに当地域にもたらされた新たな磨製石斧がみられるようになる。それらは大陸系磨製石器と呼ばれる石器群の一部で、大型の伐採斧とみられる両刃の太形蛤刃石斧や加工斧とみられる抉入柱状片刃石斧、中・小型の加工斧とみられる柱状片刃石斧や扁平片刃石斧などからなり、大きさや形態が明確に機能分化している。これらの弥生時代の磨製石斧の主要石材は三重県北東地域産のハイアロクラスタイトで、石材の入手から加工に至るまで縄文時代とは異なる供給体系となっている。磨製石斧は、弥生時代後期になって鉄製工具が出現するまで用いられた。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻110・116・143ページ、18巻118・168・226・664・696ページ、19巻288・790ページ
→ 打製石斧