「松平記」

 

(まつだいらき)

【古代・中世】

徳川家康の祖父清康の横死(1535年)から家康夫人築山殿の死(1579年)までを対象とした歴史書。複数の情報源(聞書)に基づく編著で、ときに聞書が原形のまま収録されている。編著者は明確になっていないが、本書中、家康の母離縁に伴い彼女を刈谷に送致する場面で、それに従事した家康家臣の一人である浅羽十内を指して「我等父」と表記した箇所がある。国会図書館本巻六には、この巻は「友田金平聞書」であると明記されている。友田金平については、同本巻五で、姉川の戦い(1570 年)における家康側近としての武功が記されている。また巻二は永禄 5(1562)年の京周辺における六角氏の動きを述べているが、これの情報源は「三河国深溝住人加藤三之丞」からの聞き取りであると記されている。加藤三之丞は、賤ケ岳の七本槍の一人加藤嘉明の父親である。つまり、編著者は 1560 ~ 70 年頃に戦場で活躍したこれら人物から、直接に聞き取り取材している。したがって、今に伝わるテキストの原本成立は 17 世紀冒頭と推定され、大久保忠教著『三河物語』成立に先行している。『三河物語』には、明らかに本書の記述を踏襲したとみられる叙述構成が何か所も存在する。本書の叙述は、『三河物語』などの他の徳川創業史にみられがちな、家康および彼の先祖を美化する過度の文飾が抑制されている。また、家康が成功をおさめえた、その背後には父広忠の時代よりつねに今川氏の支援があったことを随所で述べて強調しており、今川家臣団内部の詳細に記述が及んでいるところもみられることから、本書成立に今川氏旧臣の関与を想定する見解も提出されている。国会図書館本を含まない諸写本を坪井九馬三・日下寛が1897 年に校訂刊行した『校訂松平記』が流布し、久曾神昇編『三河文献集成中世編』に活字として収められている。国会図書館本は、『愛知県史 資料編 14 中世・織豊』に活字収録されている。国会図書館本には、流布本にはみられない叙述が、多々存在する。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻508ページ