(まつだいらのぶひろ)
【近代】
松平太郎左衛門家第20代当主。作曲家。明治22(1889)年3月26日、裁判官であった先代の松平信英の長男として出生。大正3(1914)年3月、東京音楽学校ピアノ科を卒業後、ドイツに留学。帰国後、北米航路客船春洋丸の楽長を経て、昭和5(1930)年に日本ビクター蓄音機株式会社(日本ビクター)と作曲家として専属契約を結ぶ。同年に日活制作の「侍ニッポン」(原作は郡司次郎正、主演は大河内傳次郎)の主題歌制作を担当、一躍脚光を浴び、そのレコード売り上げ枚数は60万枚に達した。アジア・太平洋戦争中は慰問などを行っていたが、戦後に父祖の地である松平郷に移り、東京と松平とを往復する生活を2年ほど続けた。その間に松平で青年楽団を指導、のちに請われて「松平音頭」を制作、その後、東京に戻り、昭和24年12月12日に60歳で死去した。昭和33年7月13日には松平郷で信博の顕彰碑の除幕式が挙行され、碑には「侍ニッポン」の第一節が作詞者の西条八十によって刻まれた。
→ 松平郷館