(まつだいらのぶみつ)
【古代・中世】
三河国賀茂郡の武士松平氏の3代。松平親氏の子、あるいは松平泰親の子とする説がある。別名、月堂信光、崇岳院、信光明寺。室町幕府政所執事伊勢氏の被官。賀茂郡松平郷から額田郡岩津に、文明年間(1469~87)には碧海郡安城に進出した。永享12(1440)年に万松寺を、宝徳3(1451)年に信光明寺を建立。さらに叔父教然良頼を開基として、寛正2(1461)年に岩津に妙心寺を建立した。寛正6年、額田郡南部で牢人一揆が起こると、信光は伊勢氏の命令を受け戸田氏とともに討伐にあたり、勢力を強めた。信光の子は岩津の親長をはじめ、大給の乗元、安城の親忠、岡崎の光重などのほか、竹谷、形原、長沢、能見、五井、牧内らの庶家に分かれたと伝えられている。一部信光の子との確証を得ない場合もあるが、主に西三河において松平氏一族の勢力を大きく伸ばした。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻401ページ