(まつだいらやくしょ)
【近世】
旗本交代寄合松平太郎左衛門家が知行所支配の拠点とした役所。現在の松平東照宮境内地(松平町赤原)にあった(図:『千代の松根』より)。交代寄合とは江戸に集住する一般の旗本とは違い、知行所に居住することを許された大名格の旗本のこと。そのため、松平太郎左衛門家の居所でもあった。明治初期の屋敷図によれば、屋敷の敷地はおおよそ方形で、門番詰所や物見台など防備施設が設けられていた。当主が住む屋敷(御殿)は、松平太郎左衛門家が武家・領主として活動するのに必要な表と呼ばれる空間と、当主達が暮らす中奧に別れていた。なお、同図では女性のみが住む大奥はみられない。安政2(1855)年に松平役所をみた林伊太郎は、門外の堀に蓮が植えてあり、屋敷外に馬場や的場があったと日記に記している。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻54ページ
→ 松平太郎左衛門家