(まつだいらやすちか)
【古代・中世】
三河国賀茂郡の武士松平氏の2代。没年は諸説に分かれ、系譜も松平氏の初代とされる親氏の子、あるいは弟とする説がある。親氏は時宗の僧侶とする説、もしくは「渡り」と呼ばれた職能民で芸能や手工業、商業に携わった者とする説があり、商業活動で得た利益をもとに賀茂郡や額田郡の買得地を獲得し、その活動は泰親にも継承された。のちに室町幕府政所執事伊勢氏の被官になり、額田郡への関わりを深めたと推定されている。応永33(1426)年12月13日には若一神社(岡崎市)の堂舎を造営したと伝える棟札銘の写が現存し、翌年4月27日には若一王子の本地十一面観自在尊を造立したという。ここには「願主松平太郎左衛門入道用金」とある。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻401ページ