馬ノ平遺跡

 

(まのたいらいせき)

【考古】

稲武地区稲武町にある縄文時代を中心とする遺跡で、名倉川の支流井山川に北接する城ヶ山から延びてきた丘陵末端の緩斜面上に立地している。鈴木冨美夫・沢田久夫らによる遺跡発見後の昭和29(1954)年には、ボーリングスティックによる調査が行われている。昭和58年11~12月には県教育委員会により、地形測量図の作成と試掘調査が行われた。この調査により遺跡は標高 617~630mの地点と 645~654mの地点の2 か所に分かれていることが判明し、特に前者に設定された第1・第2トレンチからは、縄文時代後期中頃を主体とする土器・石器が多く出土した。このほかにごく少量の古代・中世の遺物が出土したが、第1トレンチの遺物包含層から出土した平安時代の青銅製瑞花双鳳八稜鏡片(写真)は、市域における数少ない和鏡の出土例として注目される。なお、表面採集資料および設楽町奥三河郷土館所蔵資料には、縄文時代早期・前期・中期・晩期の土器片や各種の石器に加えて、弥生時代後期の土器、古墳時代中期頃の蠟石製臼玉・剣形石製模造品各1 点がある。また磨製の板状をした石器が1点採集されており、縄文時代の擦切具あるいは弥生時代の石包丁の可能性が指摘されている。


『新修豊田市史』関係箇所:1巻66・102・163ページ、2巻171・176ページ、18巻652ページ、20巻602ページ