政所

 

(まんどころ)

【古代・中世】

中条氏の下で、高橋荘を支配するために置かれた役所。ここで述べるのは中世の市域での用例であり、教科書などにみえる鎌倉幕府や室町幕府の政所とは異なる。高橋荘は猿投社などを含む北方、矢作川東岸の東方、西岸の西方という3つの方に分かれ、それぞれに中条氏の被官が配置される公文所があり、現地での実務に携わっていたと考えられる。これらの公文所が政所とも呼ばれたという理解もあるが、史料的な根拠は乏しい。むしろ、猿投社の祭礼の際の序列として「政所代」が「公文」の上位に置かれていること、西方の役所が中条氏の居館を兼ねていて、ここに出仕した被官は、中条氏の当主に事案を言上して指示を受けていたと思われることなどから、この西方の役所が他の公文所とは異なる高橋荘全体の支配のための拠点であり、特に政所と呼ばれたと考えることが妥当であろう。

『新修豊田市史』関係箇所:11号97ページ

→ 公文所高橋荘