(まんばがいといせき)
【考古】
旭地区の牛地町にある縄文時代遺跡で、現在は矢作ダムの水面下に没している。三河山地を西流する矢作川左岸の、北西向きに張り出した標高75~280mの河岸段丘上に立地している。この段丘面は、東西 400m・南北 390mの範囲に広がり、北側は矢作川に面していて、水面との比高は約 20mを測る。遺跡は、昭和30年代頃に土器・石器が散布する場所として注目されていたが、矢作ダム建設により本遺跡や久保田遺跡・前畑遺跡、岐阜県側の大野遺跡や相走遺跡などを含む範囲が水没することとなったため、昭和42(1967)年8月に発掘調査が実施された。この調査では段丘上の7か所に発掘区が設定され、第1地点では竪穴建物跡2基、第3地点では石囲炉1基が確認されている。ともに縄文時代中期後半の遺構で、第1・3地点の出土土器もほとんどが縄文時代中期に属するものである。石器は打製石斧が圧倒的に多い。また、第1地点西側の竪穴建物跡から信州星ヶ塔産の黒曜石の石核(写真)が出土している。この石核は大きさ11.1×8.7×4.9cm、重さ381gを量る愛知県内最大の黒曜石塊で、市指定文化財となっている。なお、第2地点では前期の土器・石器がまとまって出土したため、本遺跡とは別の牛地町大麦田遺跡として登録されている。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻112ページ、18巻510ページ
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