(みあい)
【民俗】〈人の一生〉
明治民法が施行され、法的に家制度が確立すると、ヨアソビをきっかけとする恋愛結婚は廃れ、親が結婚話を主導するようになった。結婚相手を探すには、オタイコと呼ばれる専門家に頼んだほか、親が自分で足を運ぶこともあり、市域山間部では「馬を見にきた」というのを口実に娘を探した。話が進めば見合いをしたが、あくまでも形式的で、本人同士に相手を見させて念押しをする機会であった。太平洋戦争後の長興寺(挙母地区)の事例では、見合は夜、娘の家で行われ、訪れた若者と仲人に娘がお茶を出しにゆき、ここでちらりと顔を見ただけで、話もしなかった。この後は交際をすることもなく、婚礼のときまで会わなかったという。見合相手の若者が、同じくらいの年格好の者を見合の場に連れてくることもあり、「どちらが結婚相手かわからなかった」とされる。本人主導で結婚相手が決められるようになるのは、昭和30年代になってからである。〈人の一生〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻570ページ、16巻520ページ