(みかわごうゆうかいざっし)
【近代】
三河出身者の親睦団体三河郷友会の機関誌。明治18(1885)年5月10日、豊橋出身で文部省に出仕していた鋤柄鏸治の呼びかけで設立された三河親睦会に始まる。明治20年4月の会合で三河郷友会に改称した。明治21年12月25日に第1号を発刊する。本来、東京在住の三河出身者の親睦を図る目的で設立されたが、三河在住の会員の方がはるかに多かった。そのため、三河分県運動の背景にある西三河の人々の意識を示している雑誌とされる。その言説は三河の自然・風土や三河人の清廉・質朴の気風、三河出身で天下を統一した徳川家康への誇りから出発する。だが、現実の三河は沈滞しており、沈滞からの脱却と発展が誌面で強調された。明治27年8月25日、第68号をもって廃刊する。三河郷友会は公益財団法人三河郷友会として令和4(2022)年現在も三河郷友会学生会館(学生寮)を管理・運用している。
『新修豊田市史』関係箇所:10巻822ページ
→ 三河分県運動