三川御使連

 

(みかわのみつかいのむらじ)

【古代・中世】

三河の氏族名。『先代旧事本紀』巻七天皇本紀の成務天皇 48 年 3 月 1 日記事に、日本武尊とその妃である弟橘媛との間の子である佐伯命は三川御使連の祖とある。一方、『新撰姓氏録』(左京皇別上)には、御使朝臣は景行天皇の皇子気入彦命の後裔であるという。また、応神天皇の時代に宮中の御室の雑使の大壬生らが逃亡したので、使者を遣わし尋ね求めたが捕らえることができなかった。そこで、気入彦命が「参河国」まで追い捕獲したので、天皇は使いの趣旨にかなったことを褒め、御使連の姓を賜ったとある。いずれも伝承記事であるが、壬生部は推古天皇 15(607)年に設置されており、それ以降のことを反映した伝承であり、連姓からすると上級伴造氏族であり天皇の使者を担当とする御使部を束ねていた三河の氏族名と思われる。『新撰姓氏録』には続けて「続日本紀に合えり」とあり、これは『続日本紀』神護景雲 2(768)年 9 月 25日条の左京人正七位上御使朝臣清足・御使連清成・御使連田公ら 18 人に朝臣姓を賜うという記事をさし、遅くとも奈良時代には左京に移住していたこともわかる。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻16ページ