(みかわへいや)
【自然】
矢作川と境川の下流に広がる平野で、三河湾に面している。西三河平野、岡崎平野ともいう。平野の中部には碧海台地が広がる。矢作川の下流域では、現在の河床面とほぼ同じ高さの沖積低地(沖積面)が広がり、自然堤防や後背湿地が随所に分布する。自然堤防の部分は「島畑しまばた」と呼ばれたりするが、後背湿地より高く乾燥しているので、集落や畑になっている。矢作川は、江戸時代初期に、西尾市の米津で碧海台地を開削し、西へ流れるよう流路の付け替えが行われた(1605年)。南へ流れる古い流路も残っており、矢作古川と呼ばれる。矢作川の沖積低地をつくる地層は沖積層というが、古川河口部では厚さ30~50mで、上流に向かって薄くなる(20mほど)。基底部は砂礫層(沖積層基底礫層)、下部は砂層、中部は貝殻を含む泥層(海成粘土層)、そして上部は砂層からなる。中部の泥層は貝殻を含むので、当時、海底であったことがわかる(約7000年前)。海水が浸入した範囲(縄文海進)は、古川に沿って、新幹線の鉄橋の少し上流までであったことが分かっている。沖積層は1万年ほど前から堆積を始めていて、まだ新しく軟弱なので、古川河口部では地盤沈下も起こっている。平野の中部に広がる碧海台地(碧海面)は、北東部が高く(標高約25m)、南西に向かって5m程度まで低くなっている。碧海台地をつくる碧海層は、厚さ16~36mで、台地南西部で厚く、北東部で薄くなっている。上半部は砂層、下半部は海成粘土層などからなる。その時代は11~7万年前(新生代第四紀更新世の後期)である。碧海層の下位には、挙母層およびそれより古い地層、さらに深いところは東海層群である。
『新修豊田市史』関係箇所:23巻53・59ページ