(みかわべついんころもしいん)
【民俗】〈信仰〉
江戸時代中期に挙母城(桜城)が童子山の高台に移転した折、藩公の菩提寺であった洞泉寺(浄土宗)も小坂に移転し、その跡地に挙母支院の前身である挙母説教所(真宗大谷派)が創建された。現在地より東北の喜多町にあったが、元治元(1864)年に焼失し、現在地である神明町に場所を移し、明治15(1882)年、安長寺(梅坪町)を手次とする説教所として再建された。その後、力石の如意寺末となり、明治17年に本山の直轄説教所となった。住職は在勤(住み込みの職員)という形で任命され、支院での行事催行を主な仕事としている。4月の蓮如忌法要、6月の夏の御文、7月の施斎経、12月の報恩講が特に大きな行事であり、近隣の大谷派寺院の僧侶による法話が午前と午後の1日2回行われる。8月には夏期講習があり、岡崎教区24組から26組に属する門徒が支院に集まり法話を聞く。各法要ではヒジ(非時)と呼ばれる食事が振舞われる。〈信仰〉
『新修豊田市史』関係箇所:16巻746ページ