(みかわもめん)
【民俗】〈環境〉
三河木綿は三河地方で古くから生産された織物で、生地が厚手で丈夫なことで広く知られている。近世の頃には廻船によって江戸にも送られていた。木棉きわたは湿気に弱いが乾燥に強いため、市域の台地に適した産物であった。三河木綿の柄には「三河縞」があり、その染料に用いられる藍も栽培された。藍は乾燥に弱いが湿気に強く、市域の沖積低地に適していた。木棉の栽培はその多くが丘陵地上で行われていたが、沖積低地の多い挙母地区、高橋地区、猿投地区などには規模の大きな自然堤防があり、ここでも木棉や藍が栽培されていた。明治期には外綿の輸入に押され、木棉の生産は養蚕に取って代わられるようになるが、着心地の良い三河木綿は普段着や仕事着には欠かせない素材であったので、第二次世界大戦後もこれを栽培する農家があった。たいていの農家では、女性たちによって木棉の栽培から木綿糸の紡ぎ、染め、機織りまでを一貫して行われていた。〈環境〉
『新修豊田市史』関係箇所:16巻13ページ