(みそじょうぞうぎょう)
【民俗】〈諸職〉
味噌は本来、各家庭で作られるものだったが、次第に専門の味噌屋に委託加工を依頼することが増えていった。「桝塚味噌」(野田味噌商店)は、昭和3(1928)年に味噌委託加工専業として創業したもので、大豆と四斗樽を預かって味噌に仕込むことを請け負い、昭和5年からは味噌の製造販売も始めた。醸造所では洗って水に浸けた大豆を蒸してアクを取り、冷ましてから味噌玉(豆麹)にした。雑菌の侵入を防ぐため、ここに大麦を炒った香煎をまぶして種麹菌を均一に養生して醸成させ、水と塩を混ぜて大きな桶(仕込み桶)に仕込んだ。重石には丸い川原石を用い、大桶の上に積み上げて1年から2年かけて熟成させた(写真)。味噌醸造の副産物に溜まり(ニーラ)がある。大桶の味噌の表層は硬く締まって「蓋味噌」といわれたが、これに上溜まり(味噌の上に浮いてくるタール状の溜まり)と水を加えて混ぜながら加熱し、麻袋に入れてフネ(木槽)に積んで重石をかけ、絞った液に塩を加えて作った。〈諸職〉
『新修豊田市史』関係箇所:16巻170ページ