美濃尾張源氏

 

(みのおわりげんじ)

【古代・中世】

清和源氏の一族。清和源氏の祖で10世紀前半に活躍した源経基の息男の一人に満政がおり、その子孫が近江から美濃にかけて勢力を拡大したと考えられる。満政の曾孫の重宗は11世紀後半に美濃や京都で活動の足跡を残し、その子の重実は保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)にも参戦していたという。その子孫は尾張にも進出し、山田郡などを拠点とした。こうした歴史から、この一族を美濃尾張源氏などと呼ぶ。その中で、重実の曾孫の一人である重長は、足助や賀茂の苗字でも呼ばれており、12世紀の半ば過ぎに三河の賀茂郡のうち足助地方に進出して、その地を拠点としていったことが知られている。それが足助氏であり、そのもとで足助荘へとつながる開発が進んだとみられる。市域の歴史を語る上で、この一族の存在は大きな意味を有している。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻191ページ