美濃街道  

 

(みのかいどう)

【近代】

東加茂郡足助町から岐阜県恵那郡明知町・岩村町を結ぶ街道。明治9(1876)年に制定された太政官達第60号で国道・県道・里道の3等級が設定された。里道はさらに3等に区分けされるが、美濃街道は2等里道に指定されている。明治25年3月、東加茂郡会議長代理大河原新八は美濃街道を下山街道や矢作川東岸街道とともに、里道から県道に昇格するように求める建議案を愛知県知事千田貞暁に提出したが、県道昇格は叶わなかった。明治33年3月、東加茂郡介木村村長鈴木藤八郎らは岐阜県恵那郡陶村(現瑞浪市陶町)助役加藤利一郎とともに東加茂郡の美濃街道を県道に編入するよう愛知県に請願している。その背景には窯業が盛んな岐阜県恵那郡・土岐郡で欠乏する薪材を愛知県東加茂郡・北設楽郡にまたがる段戸山から運送することで両地域が利益を得るという思惑があった。そのために、美濃街道を県道に編入し、道路改修における愛知県の補助をもくろんだと考えられる。このように、県道への編入運動は県境を越えて実施されることもあったが、県道編入は容易ではなかった。大正8(1919)年4月に道路法が公布されると、国道は主務大臣、府県道は府県知事、郡道は郡長、市道は市長、町村道は町村長がそれぞれ認定することとなった。大正9年2月、東加茂郡長杉山竹治郎は郡会に諮問した上で、4月に20路線を正式に郡道として認定した。この時、美濃街道も足助-岩村線として県道に昇格している。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻138・441ページ、12巻67ページ