耳飾

 

(みみかざり)

【考古】

縄文時代の装身具の中には、耳飾とされる石製の玦状耳飾と土製の耳飾(耳栓)がある。玦状耳飾は縄文時代前期を中心にみられ、環の一部に切れ目がある中国の玉玦に形が似ていることからその名が付けられた。玦状耳飾は市域では足助地区西樫尾町大麦田遺跡などから5例出土しているのみで、滑石などの軟質の石材で作られたものが多い。なかでも旭地区牛地町大麦田遺跡のものは石材が新潟県と富山県の境付近で産出する蛇紋岩に似た透閃石岩であるとされており、北陸地域との関連性が注目される。土製耳飾は市域では足助地区今朝平遺跡、高橋地区曽根遺跡・丸根遺跡(写真:長径3.4cm)などの後期~晩期前半の遺跡でみられ、円筒形で筒の直径よりも高さのほうが大きい栓状のものと、高さよりも直径のほうが大きい滑車形のものがある。有文のものには信州や関東地方の文様と類似するものもあり、これらもまたその関連性が注目される。古墳時代になると、切れ目をもつ環状に加工され表面に鍍金が施された青銅製の耳環が現れる。市域の6~7世紀の古墳では、被葬者が耳環を装着していたとみられる事例が数多く確認されている。


『新修豊田市史』関係箇所:1巻128ページ、18巻88・288・510・678ページ、19巻810ページ

→ 耳環装身具