(みょうおうじわにぐち)
【美術・工芸】
面径27.0cm、肩厚5.1cm、銅鋳造、天正5(1577)年銘。明王寺(舞木町)の鰐口は、耳は角の丸い四角形に近い形状をもち、断面が円形のいわゆる両面式を踏んだものである。面は表裏とも同文で、3区に分け、一面の銘帯には銘刻をめぐらし、1本の細帯で区分けされた撞座区は中央に14葉、中には10弧で11個の蓮子を持つ撞座を陽鋳し、中区はやや太めの子持紐帯で区分され、銘帯にも2本1組の紐帯で区分され、その一面に「三州賀茂郡高橋庄西宮鰐口清水洞小太郎竒進/大工水野太郎左衛門 天正五十月廿九日」と陰刻銘がある。このうち、「西宮」の語句は摺り消しされて「舞木邑」と刻まれている。このことから、もと猿投神社の西宮にあったものが廃仏毀釈によって舞木町の明王寺へ移ったことが知られる。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻429ページ
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