(みょうごう)
【古代・中世】
仏・菩薩の名。特に、阿弥陀如来の名を指して用いることが多く、その場合、六字「南無阿弥陀仏」が代表的であるが、十字「帰命盡十方无㝵光如来」、九字「南無不可思議光如来」、八字「南無不可思議光仏」などもある。儀式で称えたり(念仏)、文字で記して掲げたりすること(名号本尊)が多い。わかりやすさから浄土信仰の展開の中で民衆にもよく浸透した。なかでも、戦国時代に本願寺教団を形成した蓮如は木像・絵像よりも名号を重視し、活動当初は「光明十字名号」(掛幅装)を本尊として制作し、帰依した門徒に授けた。これは絹本に金泥籠文字で名号を表し、その名号から48本の光明を放ち、蓮台を描く造形で、真宗道場(後の寺院)の本尊として用いられた。軸裏には裏書があることが多く、授与情報が文字で記され、貴重な文献史料である。蓮如はその後、絹本着色の「光明十字名号」ではなく、紙本墨書の「草書(行書)六字名号」(写真:光恩寺所蔵)に切り替え、自身で筆をもって書き始め、さらに大量生産をするようになる。増大するすべての帰依者に対して渡したいという方針が推察されるが、これにより、従来は手元に本尊を持ち得なかった民衆層にいたるまで、「六字名号」を掲げて礼拝・勤行等の信仰活動を深めるようになる。本願寺蓮如の布教活動が画期的であるといわれる所以である。ただし、こうした「草書(行書)六字名号」には原則として裏書等はなく筆者の客観的確定は困難である。現代に蓮如筆名号とされるものは無数に伝存するが、その中には真筆もあれば、蓮如の息子実如の筆やその後の本願寺歴代、もしくは筆者不詳とせざるを得ない筆跡のものも多数、存在する。研究の進展によりある程度、筆跡鑑定は可能であるが、例えば実如筆だとしても、蓮如筆と同じく戦国時代に門徒民衆が大切にした名号であり、その歴史的評価は変わらず高い。また、名号による布教は蓮如とほぼ同時代、真宗高田専修寺勢力や天台宗真盛派などでも行われている。専休寺(中立町)所蔵の伝蓮如筆六字名号は市指定文化財である。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻354・425ページ
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