妙昌寺文書

 

(みょうしょうじもんじょ)

【近世】

王滝町(松平地区)の妙昌寺に伝来する文書。このうち、室町時代末期から江戸時代初期にかけての4点が妙昌寺文書(写真)として市指定文化財である。弘治2(1556)年5月2日付松平親乗売券は、大給松平家の親乗が妙昌寺に年貢などの収益を得る土地を売り渡した証文である。この証文は明治期にいたるまで現地における土地所有の状況確認にあたり、広く参照されている。8月3日付板倉勝重書状は、元和元(1615)年のものと考えられ、龍田院の関係者である林清や年寄百姓の協力を得て、現地の支配を行うように妙昌寺に指示したものである。慶長17(1612)年3月23日付江戸幕府裁許状は妙昌寺と曲村(松平地区)の境界争いに対して幕府から出された裁許状である。元禄3(1690)年5月15日付鈴木重祐寄進状は則定役所旗本鈴木重祐が菩提寺である妙昌寺に4代将軍徳川家綱自筆の「鳩の絵」をはじめ6幅の軸類を寄進したときの目録である。


『新修豊田市史』関係箇所:6巻212ページ、9巻503・510ページ