(むねよししんのう)
【古代・中世】
後醍醐天皇の皇子の一人。現在の中部地方から関東地方にかけての、南朝の代表的な軍事担当者となっていた。遠江の井伊谷や信濃の南部などにも所在したようであるが、三河に入った痕跡はない。ただ、おそらく延元3(建武5・1338)年頃に、三河の足助重春が来訪を求めていたというが、実現はしなかったようである。室町幕府の勢力が強まるとともに足跡も辿れなくなり、1380年代の頃に没したと考えられている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻299ページ
宗良親王 1311~?
(むねよししんのう)
【古代・中世】
後醍醐天皇の皇子の一人。現在の中部地方から関東地方にかけての、南朝の代表的な軍事担当者となっていた。遠江の井伊谷や信濃の南部などにも所在したようであるが、三河に入った痕跡はない。ただ、おそらく延元3(建武5・1338)年頃に、三河の足助重春が来訪を求めていたというが、実現はしなかったようである。室町幕府の勢力が強まるとともに足跡も辿れなくなり、1380年代の頃に没したと考えられている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻299ページ