村上忠幹  1785~1853

 

(むらかみただもと)

【近世】

碧海郡堤村新馬場(高岡地区)の医者。刈谷藩医。「村上杏林堂」の号で薬の処方や調剤も行った。妻美志子は駿河国沼津藩の飛び地碧海郡新堀村(岡崎市)の木綿商人深見一族の人。忠幹は俳諧や和歌を嗜んでいるが、後継者の忠順が和歌に没頭することを憂えてたびたび書状で医業に専念するよう諭した。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻574・617ページ