(ムラひよう)
【民俗】〈社会生活〉
ムラ費用の中心は区費、字費と呼ばれ、各家の割付基準を作成し、それをもとに各家から徴収するのが一般的であった。中には上切(旭地区)のように、戦前は地主たちの寄付でムラが運営されたとか、黒田(稲武地区)のように黒田貯水池の山の下草刈りをムラで請負い、矢作電力から多額の請負費が入ったことで区費を徴収しなかったムラもあった。また共有山の売却や貸付けなどにより、売却代金や賃貸料の収入のあるムラもあった。各家に対する区費の割付基準は、時代の移り変わりや社会、経済の状況によって異なった。現在では、ムラの運営のため年間の予算案や決算書を作成し、総会等に諮って審議・承認を得るムラが多くなったが、昭和30(1955)年頃までは、費目ごとにまとめた予算書・決算書を作成しているムラは少なく、葛沢(足助地区)で予算を立てるようになったのは、昭和50年頃のことだという。予算立てが行われる前は、ムラ運営にかかった費用を決算し、その額を各戸に割付けた。この割付をオオワリ(大割)、クワリ(区割)、オオカンジョウ(大勘定)などといった。割付は年1回のムラが多かったが、盆前や正月前に、ボンワリ(盆割)、ボンマエワリ(盆前割)、クレワリ(暮割)といって、年2回行ったムラもあった。この割付は、昔は「オオヤ」と呼ばれる上層の者、またムラの長老が集まって決めていたムラもあったが、昭和30年代にはムラ役員や家の事情を知る組長などが集まり、各家の資産をもとに家族数、働き手の病気や失業、米の収穫などの状況や役場の資料などを勘案し、各ムラの基準で等級をつけ、該当金額を徴収する等級制を採用するムラが多かった。家の状況の悪化や寡婦などに対しては減免処置をとるムラもあった。等級制は等級割、トウコワリ(等戸割)、カスウワリ(箇数割)と呼ばれた。また給与所得に重きを置く所得割もあった。等級制はムラでの各家の位置付けや寄合の席での意見、神社や祭礼などの寄付にも影響を及ぼした。畝部東宗定(上郷地区)では等級の割付を「序列を付ける」といい、ムラの中での家の格付けにもなった。藤沢(石野地区)では、かつて共有山を個人持ちの分け山にしたとき、等級を基準にしたとされる。年代が下がるにつれ、次第に割付の等級のランクを減らし、所得割、平等割などを併用するなど、等級制における各家の格差の減少が図られるようになった。また昔から、区費を一律にする平等割を採用していたムラもあった。アパートなど賃貸住宅や店舗が増加し、それに伴って持ち家と賃貸住宅、単身者、店舗や会社、農地などの固定資産などを考慮し、新たな徴収基準を設けたところも出てきた。割付けられた区費、字費は、決算の後、各家が組長や区長の家に出向いて支払ったり、組長が各家へ回って徴収したりした。中には毎月とか前期・後期、年3回、4回などに分けて徴収するところもあった。〈社会生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻480ページ、16巻451ページ