(ムラやくいん)
【民俗】〈社会生活〉
ムラの維持・運営のためには役員が置かれ、ムラ役と称している。区長、区長代理(副区長、総代)、会計など、主な役であるムラ三役をはじめ、神社や寺院の役、農林業などの生産組合、子供・青年・婦人会など各種団体の役員などが置かれていた。どのような役を置き、人数を配置するかは、ムラの規模や立地、環境、生業条件、また時代の状況によって異なる。足助地区、下山地区や乙部(猿投地区)、石野・藤沢(石野地区)、寺部(高橋地区)、前林・駒場(高岡地区)などでは、農事実行組合長(生産組合長)を加えて三役や四役を構成した。戦前や戦後まもなくまでは、区長は総代と呼ばれ、財産がある有力者や名望家が務めていた。前林では終戦の頃まで、ムラ役は無償奉仕であった。明治・大正時代の区長は、就任すると自費で知立の街から芸者を呼び、ほかのムラ役の接待をしたとされ、ある程度のオオヤ(上層の家)でなければ務まらなかった。区長はムラの代表として行政を総括し運営する役であるとともに、市町村行政の末端の役割を担い、ムラ住民と行政機関との間の調整役でもあった。猿投・石野地区では区長が市町村やほかのムラとの折衝など対外的な仕事、総代がムラの中の一切の仕事など、受け持つ担当が明確化されている。猿投では総代が氏子総代長を兼務していた。区長補佐役には区長代理(副区長、代理者、総代)、会計(出納)などがある。また相談役、顧問が置かれていたムラもあった。会計も副区長などが兼務するムラもあった。山間部では区(会)議員、平野部では評議員と呼ばれる役があるが、これらがムラ役を担当していたところもあった。稲橋(稲武地区)の区議員の主な仕事は財産区の山林を管理することであった。その他ムラ役にさまざまな役が置かれていたが、土木係はムラのくらしが農業中心であった頃には欠かせない役で、農地や用水路、道路などの管理や整備を担当した。西広瀬(猿投地区)ではムラ三役に加えていた。寺部の町総代は顧問としてムラ行政に関わったが、主たる役割は祭礼の最高責任者であり、神社や観音、常夜灯などに関する仕事を仕切っていた。戦後、ムラ役はさまざまな選挙や推薦などの方法で選出され、総会で決定された。任期は1年というところが多く、再任を認め、同じ人が何度も務めるムラもあった。正月などに開催される総会でムラ役が決まると、正月中に新旧の区長の間で引継ぎが行われた。区長の家では、区の記録文書などを収めた箪笥や箱を保管した。折平(藤岡地区)では、区長が替われば、旧区長の家へ新区長、新役員(会計、区会議員)などが出向いて事務の引継ぎをし、「区長の箪笥」を新区長の家に運んだ。これを「区長の嫁入り」といい、引継ぎに際しては慰労の宴が張られることが多かった。ムラの帳簿・文書類や備品などの一覧を記載した引継目録は、多くのムラで作成され、次期役員へ行政事務を引継いだ。〈社会生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻453ページ、16巻433ページ
→ 区長