明治用水旧頭首工

 

(めいじようすいきゅうとうしゅこう)

【建築】

水源町(挙母地区)。頭首工とは川を堰き止めて水を農業用の用水路に引き込むための施設。明治用水の取水施設として矢作川に造られた。昭和32(1957)年に建造された現在の頭首工より上流400mに人造石工法による横断堰堤を築造、施工を服部長七率いる服部組名古屋支店に依頼している。起工は明治34(1901)年2月で竣工は同年12月。工費は6万3864円。川幅160mに堰堤(116.4m)を湾曲させ、中央部に筏通し(9.1m)、その左右に放水門(1.8m)4門と排砂門(1.8m)を五門備えたもので、自在回転式の扉を付け、増水時に備えた。その後も放水門を増やすなど改良工事を行っている。明治39年には船通し閘門(全長36.5m、閘室長さ25.5m、幅3.6m)、大正6(1917)年には魚道が増設された。新頭首工が完成し取り壊しが行われたが、人造石の施工が強固で、土台を残し中断された。日本土木学会選奨土木遺産(平成19年認定)。なお令和4年5月に発生した現頭首工の大規模漏水で一時的に水位が下がり土台部分が姿を現した(写真)。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻524ページ