(めいてつころもせん)
【現代】
名鉄挙母線は、昭和37(1962)年6月17日に岡崎市内線福岡町-大樹寺間8.8kmがバス化された。残る大樹寺-上挙母間も、岡崎市内線廃止により乗客が減少した。さらに自動車の普及が旅客輸送、貨物輸送に大きな影響を与えた。トヨタ自動車前駅の乗降客数は、昭和30年代に1日あたり約1万1000人を数えたが、昭和47年度には5000人を下回るまで減少した。これに加えて、国鉄岡多線の建設用地との関連が、挙母線廃止を決定づけた。国鉄が岡崎-多治見間に新しく路線を建設するについて、挙母線と並行する部分が多いとして、名古屋鉄道に対して調整を提案した。名古屋鉄道は、国鉄や日本鉄道建設公団と協議の上、挙母線を廃止・バス化してその一部分は岡多線の線路用地として譲渡することに合意した。こうして挙母線は昭和48年3月4日廃止されバスに転換した。代替バスも平成14(2002)年9月30日廃止された。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻362ページ、14巻56ページ