名鉄豊田新線

 

(めいてつとよたしんせん)

【現代】

昭和12(1937)年3月1日新三河鉄道が保有していた挙母・八事間の鉄道敷設権は三河鉄道が引継ぎ、4年後三河鉄道は名鉄と合併し、鉄道敷設権は名鉄へ引き継がれていた。昭和30年代後半、名古屋市東部の日進町(現日進市)、東郷町、三好町(現みよし市)などに都市化が進み、その勢いは豊田市へ達しようとしていた。昭和46年11月には「名古屋・豊田鉄道建設促進協議会」が結成され、名古屋-豊田間の鉄道建設は早期実現に向けて動き出した。名古屋市交通局は、高速度鉄道3号線として上小田井-赤池間を建設することを決定したが、そのルートのうち八事-赤池間5.6kmは名鉄が保有する八事-豊田間の免許路線と重複するので、両者の調整が必要となった。名古屋市と名鉄は種々協議を重ね、46年12月に合意をみるに至った。名古屋市が名鉄瀬戸線の栄町乗り入れに同意するかわりに、名鉄が所有する八事-豊田間の地方鉄道事業免許のうち、名古屋市の高速度鉄道3号線と競合する区間の免許を市に無償譲渡することになった。47年10月に名古屋市交通局と名鉄の間に両者の相互直通運転に関する基本協定を締結した。名鉄は47年2月に豊田新線建設本部を設置し、ルート調査・地元の説明・設計協議・用地買収などに着手した。53年10月1日に地下鉄3号線の八事-赤池間が開通、54年7月29日に豊田新線が完成して両者の相互乗入直通運転が開始された。名鉄三河線の連続立体交差事業は、松ヶ枝町-東梅坪町間3429mを総事業費88億円で昭和51年度から行われていたが、60年12月に全区間完成し、梅坪-豊田市間については61年10月に複線化された。豊田新線は、全線が複線のうえ立体交差で踏み切りが一つもない新世代の鉄道で、梅坪から名古屋都心部の伏見までは45分弱で到着する。平成5(1993)年8月、地下鉄鶴舞線の庄内緑地公園-上小田井間が開通し、名鉄犬山線との相互乗り入れも始まり、豊田-犬山間が結ばれた。


『新修豊田市史』関係箇所:5巻366ページ、14巻71ページ