(モデル・コミュニティちく)
【現代】
昭和48(1973)年度から始まった愛知県のコミュティ政策の中でモデル・コミュニティ事業を推進するために設定された地区で、おおむね小学校区を範囲とする区域が指定を受けた。当時、全国的に人口減少による過疎化の進行や工場勤務者の増加で生活スタイルの変化や地域の連帯意識が薄れてきた。こうしたことから自治会活動や消防団などの活動に支障が出ないようにコミュニティの強化と連帯意識の醸成が図られた。国が主導したコミュニティ政策を参考にして、愛知県は独自の施策を展開した。豊田市農山村地域では、この取り組みが始まった初年度に旭町の小渡小学校区が指定を受けた。以降も県下全市町村に地区指定が実施され、豊田市合併町村部の各地区にもコミュニティ地区が設置された。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻403ページ