(もりおかむら)
【近代】
明治22(1889)年~昭和30(1955)年の東加茂郡の自治体名。江戸時代の藩政村が合併を繰り返したのち、明治22年に成立。同39年に金沢村・豊栄村・穂積村それぞれの一部を編入して領域を拡大した。合併各村の大字を継承した以下の23の大字(追分、岩神、野林、川端、沢ノ堂、上小田、冷田、戸中、四ツ松、岩谷、下平、中国谷、下国谷、上国谷、栃本、桑原田、下佐切、上佐切、平折、国閑、上脇、則定、霧山)からなっていた。その後、昭和30年に足助町・阿摺村・賀茂村と合併し、新たな足助町が成立し、盛岡村は廃止された。明治17年の地籍帳からのちに盛岡村となる各村の土地利用データを総計してみると、田265町、畑155町、宅地32町、山林原野1780町であり、また明治24年の「徴発物件一覧表」によると当時の盛岡村は、戸数771、人口3466人(うち、男性1765人、女性1701人)であった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻187ページ