(もりやまたま)
【現代】
小原村名誉村民。明治15(1882)年3月16日、小原村大字岩下に出生。12歳のときに同村大字大倉教聖寺守山家の養女となる。明治29年4月、小学校准教員免許取得、同年、第二清原尋常小学校に奉職、その後、小原村高等小学校、清原小学校、本城小学校に勤務した。その間、愛知県第二師範学校女子部で学んでいる。昭和6(1931)年8月に退職。退職後は裁縫・作法・華道・茶道・書道などの指導を行い、昭和10年3月の小原村倉野婦人会の開設にも尽力、昭和12年からアジア・太平洋戦争終結まで大日本婦人会小原村婦人会長などを務めた。戦後も昭和21年から同23年まで愛知県同胞援護会に勤務するかたわら、同年9月の小原連合自治婦人会の発足に力を尽くし、その初代会長に就任するなど、婦人団体の育成指導に傾注した。昭和53年11月25日、小原村名誉村民に推挙され、同56年1月2日に98歳で死去した。