(やなみじょう(しもほんじょう)あと)
【考古】
高橋地区矢並町ほかにある中世城館遺跡。南西から北東方向に延びた標高約190mの尾根頂部に立地している。東側に矢並川、西側に市木川が流れる谷地形があり、比高は90m前後を測る。平成13(2001)年に東海環状自動車道建設に伴い県埋蔵文化財センターによる4500m2の発掘調査が行われ、平坦面が2か所で確認された。そのうちの曲輪1は、最大で厚さが1m整地された段階(Ⅱ−1期)とさらに整地を進めて北側に城域を拡大させた段階(Ⅱ−2期)とに分かれる。遺構は、整地前のⅠ期の虎口と思われる凹地と土塁および柵列4条、Ⅱ−1期の土塁状盛土と掘立柱建物跡4基および溝3条など、さらにⅡ−2期の堀切、竪堀、土塁3か所、土橋、柵列などが確認されている。土坑SK1から焼土や炭化物が検出され、狼煙場の可能性が指摘されている。瀬戸・美濃窯産陶器や土師器皿、鍋類などの15世紀後半~16世紀後半までの遺物が多数出土しており、長期間にわたって城郭内である程度の活動が行われていたと考えられている。本城跡は、当地を治めたとされる鈴木氏の動向を知る上で重要な城跡となっている。
『新修豊田市史』関係箇所:20巻286ページ