(やねざい)
【民俗】〈住生活〉
屋根は、材料によってソギ(削ぎ)葺き、木皮葺き、カヤ(萱)葺き、小麦カラ葺き、瓦葺きがあった。ソギは栗の木を薄く柾目に剥いだ板で、長さ1~1.5尺、幅3寸、厚さ3分ほどであった。ソギを作るのは専門の職人でソギヤと呼ばれた。ソギ100枚を1クレというが、実際は1クレ96枚で、そのため実数の少ないことを「ソギ勘定」といった。木皮葺きは杉皮で葺いた石置き屋根をいう。杉皮むきも専門の職人が行った。職人は2本の棒を使って杉の木の上まで登り、下に降りながら皮をむいていった。杉皮は長さ2尺、幅は幹回りによって異なった。屋根を葺くとき、杉皮を横木で押さえ、上に石を乗せて重しとした。川の石は滑りやすいため、山の石を置き石として使った。草屋根にはカヤ(カリヤス、ホンガヤ、ススキなど)、小麦カラ、稲藁などが用いられた。カリヤスは茎が細く、屋根葺きでは目がつむ(粗くならない)上に長持ちするのでもっともよいとされた。ホンガヤは茎が太く、葺くと目が粗くなった。ススキは茎が細く、長持ちしなかった。カリヤスが不足したときはホンガヤ、ススキ、小麦カラを足した。稲藁は軒づけに用いた。カヤを刈る場所はカリバ、カリヤマ、カイヤマなどといい、私有地と共有地があった。夏焼(稲武地区)にはかつて15町歩のカイヤマがあり、秋に各家から1人2日間出てカヤを刈り取った。カヤ1把は1抱え、4把で1束、6束で1駄だんであった。カヤは屋根裏に積んでおき、100把で片ヒラ(屋根の片面)が葺けた。平野部ではカヤの入手が難しく、小麦カラだけで葺く家が多かった。小麦カラの耐久性はカヤと比べると短く、片ヒラずつ3年ごとに葺き替えるなどした。瓦葺きはオオヤ(大家)やホンヤ(本家)などで多くみられた。瀬戸市赤津の赤津瓦、深見(藤岡地区)の燻し瓦、田籾(保見地区)の塩焼瓦などが使われた。戦後は一時的にセメント瓦が流行した。〈住生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻384ページ、16巻380ページ