(やばいせき)
【考古】
上郷地区の鴛鴨町周辺に広がる中位段丘面(碧海面)が鴛鴨川に浸食されて舌状となった先端部に営まれた集落遺跡。小谷を隔てた東側には神明遺跡が展開している。県埋蔵文化財センターが平成9(1997)年から翌年にかけて実施した発掘調査では、弥生時代終末期の竪穴建物跡1基、6世紀前半~7世紀前半のもの5基、同後半8基、8世紀後半頃のもの2基が発見されている。一方、掘立柱建物跡は74基確認されたが、時期が判別できたのは6世紀前半~7世紀前半のもの8基、同後半2基と江戸時代の建物跡1基に限られた。本遺跡最大の特徴としては、朝鮮半島の百済を起源とする大壁建物の遺構が3基確認された点が挙げられる。大壁建物は同時期にまとまって建てられてはおらず、6世紀後半と7世紀前半、そして7世紀後半にそれぞれ1棟ずつがほぼ同じ位置に建て替えられていて(写真中央)、竪穴建物や掘立柱建物と並存していた。大壁建物は床面積が広く、全形が判明したSB10は9.8×7.2mの広さを持つ大型建物である。また、本遺跡からは数多くの鉄滓や鍛造剥片などの鍛冶関連遺物が出土していて、鉄器生産が行われていたことを示唆している。渡来系の技術をもった集団の長が、出自を示す象徴として故地の建物形式にならって大壁建物を建てて居住し、指揮・指導に当たっていた可能性もある。
資料提供者「(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター」
『新修豊田市史』関係箇所:1巻380ページ、19巻248ページ
→ 大壁建物