(やはぎがわえんがんすいしつほぜんたいさくきょうぎかい(やすいきょう))
【現代】
矢作川沿岸および水域の水質保全のために必要な調査、対策、運動を行うことを目的に設立。昭和39(1964)年、工場の新設などの開発に伴い用水路の変更などを申請してくる企業に対応するため、明治用水土地改良区が企画課を新設。企画課は公害に関する資料や工場排水の水質などのデータ、水質汚濁に関する論文等を収集しはじめた。この企画課が矢作川沿岸水質保全対策協議会(矢水協)を誕生させることになった。昭和44年9月3日に矢水協が正式に設立。当初は矢作川流域の農業関係団体、漁業関係団体、地方自治体あわせて19団体で発足し、昭和45年には矢作川漁業協同組合も加入。矢作川の清流を自分たち民間で守り、市町村に刺激をあたえていくべきとの姿勢で、明治用水や枝下用水などが利水団体などに呼びかけて発足に至った経緯がある。各市町村や県も賛同し、県企業庁も参加。珪砂や砂利採取業者に対する水質規制を強めるよう県へ働きかけたり、採取場の排水口をパトロールして独自で泥水をチェックしたりするなどしていく。昭和45年12月に水質汚濁防止法が公布されて以降も、活発な反公害運動を展開。昭和47年6月には特に悪質な3業者を告発。水質汚濁防止法違反摘発の全国第1号となった。昭和46年に発足した矢作川流域開発研究会は矢水協と表裏一体の関係にある団体であり、「流域はひとつ、運命共同体」を合言葉とし活動を行っていく。流域内の開発行為に対して矢水協の事前同意を条件とする民間主導の流域管理方式の一つである「矢作川方式」は、平成10(1998)年に第1回日本水大賞のグランプリを受賞。矢水協による水質汚濁対策は先駆け的な意味をもつものであり、反公害活動を進めていくための広報にも優れた面をもった。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻204ページ、14巻335ページ