(やはぎがわのかんきょうほぜんかつどう)
【現代】
矢作川流域で行われてきた各種環境保全活動。昭和32(1957)年の集中豪雨や台風10号によって矢作川には濁水と土砂が流入し、昭和34年9月の伊勢湾台風時には工場などが汚水をたれ流した。山砂利採取も問題となる。土地開発が進むことに対しては、昭和39年11月に明治用水土地改良区が市と枝下用水の保全を目的とする「枝下用水保全に関する協定書」を締結。円滑な水利用については、昭和61年8月に「矢作川(矢作ダム関係)の渇水対策についての確認書」が交わされ、暫定節水ルールに従って取り組まれることとなった。東加茂郡旭町の議会による平成3(1991)年9月の「矢作川の環境維持用水の確保に関する陳情」はダムによって川本来の姿を失うことに言及するとともに、地域の活性化のためには環境維持用水の確保が必要と訴える。市長らによる「矢作川に関する陳情書」(平成6年3月)は生物にやさしく日常生活で住民が親しむことのできる水辺の整備を求めた。市河川課による「河川環境活動指導要領」(平成6年12月)でも住民の生活に密着した河川環境の事業推進を定めている。平成8年5月には旭町の町長が、矢作第1ダム周辺をジョギングコースなどとして整備し、矢作第2ダム周辺をレーシングカヌー会場などにする計画を県に報告。水質汚濁防止運動を行う組織としては昭和44年9月に矢作川沿岸水質保全対策協議会(矢水協)が設立され、矢作川の清流は自分たち民間で守り、市町村に刺激をあたえていくべきとした。昭和45年発足の豊田市水質調査会は全市民的な公害追放運動を掲げる。昭和46年には矢作川流域開発研究会が発足し「流域はひとつ、運命共同体」を合言葉とした。市立西広瀬小学校は昭和51年に矢作川と飯野川の水質汚濁調査を開始。昭和53年2月設立の財団法人矢作川水源基金は、水源林地域対策などを行う市町村に援助を行うことでの関係地域の振興と流域の一体的な発展を目指す。財団法人矢作川流域振興交流機構(矢流振)は平成3年3月に設立。自然と人間、上流と下流の共生をはかる。水辺愛護会は河川の良好な景観の保持、河畔の草刈りなどを行う。平成6年7月発足の豊田市矢作川研究所は豊かな水量の維持や良好な水質保全などを目的とする。平成13年には矢作川「川会議」が発足し矢作川宣言を提案。矢作川「川会議」は矢作川に関わる組織のネットワーク化・流域の環境・文化に対する認識の共有化を目標に設定した。矢作川学校は、矢作川の自然や文化のすばらしさを次世代に伝える人々を育みたいとの願いから開校。ミニシンポジウムでは学生が自然や人文科学の研究成果を発表。矢作川漁業協同組合は平成15年、流域に豊かな内水面漁業を提供していくための指針として環境漁協宣言を採択。平成17年に設立された矢作川漁協森林塾は、一般市民も参加できるよう、平成22年にNPO法人矢作川森林塾となる。市民参加型の人工林調査である「森の健康診断」は平成17年に開始。紙芝居などを使う「子どもの森の健康診断」も始まった。平成19年の豊田森づくり条例では、森の健康診断の結果に基づいて間伐の目標面積を決めている。そのほか、「トヨタボランティアセンター」や市の「わくわく事業」なども環境保全活動を行う。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻204・555・685ページ