山越阿弥陀図

 

(やまごしあみだず)

【美術・工芸】

山脈の彼方から、胸前で転法輪印を結び上半身をのぞかせる阿弥陀如来を正面向きで描く画像を、山越阿弥陀図という。山越阿弥陀図は、『観無量寿経』における日想観と結びつけ西に没する太陽との関連で説明されることも多いが、中世においては阿字観や月輪観をもとに十五夜の月が西に没するさまから阿弥陀をイメージすることがしばしば行われており、これが機縁となって成立した図像と考えられる。鎌倉時代の作例では阿弥陀は山並みからほぼ半身をのぞかせるが、時代が下るにつれ阿弥陀が体をのぞかせる範囲は狭まる傾向があり、室町時代後半には首から上のみをのぞかせる作例が多くなる。市域の現存作例としては、観音菩薩・勢至菩薩を伴う三尊形式の山越阿弥陀図に古例が多い。中でも真宗大谷派の弘願寺(和会町)のものは室町時代前期制作の市内最古例だが、14代住職・芳野唯照が購入したもので旧所蔵地は不明。いずれも浄土宗鎮西派の性源寺(広川町)には桃山時代の1幅物と3幅物の、浄國院(小町)には室町時代後期(写真)の、それぞれ三尊形式の山越阿弥陀図が伝存する。独尊形式の作例のうちでは真宗大谷派の善宿寺(下林町)のものが室町時代制作と最も古く、浄土宗鎮西派の洞泉寺(小坂町)、真宗大谷派の十王寺(亀首町)には江戸時代の作例が伝存する。


『新修豊田市史』関係箇所:21巻179・275ページ

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