(やまだごう)
【古代・中世】
古代の賀茂郡に属した郷名。「やまだのさと」とも読める。現在の小原地区に比定する説もあるが、不確定である。石神遺跡から出土した上部左側面に切り込み跡のある木簡に「三川国鴨評山田五十戸国□とあるのが初見。五十戸は里のことで、おおむね天武天皇10(681)年から同12年にサトの表記が五十戸から里へ移行したと推定されている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻74ページ
山田郷
(やまだごう)
【古代・中世】
古代の賀茂郡に属した郷名。「やまだのさと」とも読める。現在の小原地区に比定する説もあるが、不確定である。石神遺跡から出土した上部左側面に切り込み跡のある木簡に「三川国鴨評山田五十戸国□とあるのが初見。五十戸は里のことで、おおむね天武天皇10(681)年から同12年にサトの表記が五十戸から里へ移行したと推定されている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻74ページ