山の講

 

(やまのこう)

【民俗】〈年中行事〉

ヤマノコ・ヤマノコウ(山の講)といい、春秋に山の神を祭る行事。市域では、山の神は農地や山林の守り神と考えられ、ムラや組・切、親族や山仕事仲間などで祀っていた。下佐切(足助地区)では山の神とお鍬さんは同じ神様だとされていた。市域山間部では、山の講は主に旧2月7日の春と旧10月7日の秋の時期に設定され、山で仕事をする人や材木を扱う人、炭焼きをする人たちが一日仕事を休む日とされた。仕事仲間で集まったり家族で過ごしたりし、皆で五平餅やアズキメシを食べた。山の神の石碑は山の中腹にあり、お神酒とともに五平餅やおはぎ、アズキメシを供えた。当日は山へ入ってはいけないとされた地域も多く、夏焼(稲武地区)ではこの日は山の神が山を見回りに歩くので、山に入ると木に数え込まれるとされた。山の神は女性を嫌うともいい、男性だけが行事に参加した地域もあった。市域平野部では、山の神は春に山から降りてきて田を守り、収穫後の秋や冬に山に戻って山を守るとされた。旧2月7日の春と旧11月7日または年末の冬の時期に設定されたが、行事はどちらか一回だけだったというところも多い。市木(高橋地区)や広幡(保見地区)では山の神が山から降りてくる2月に行事があり、山の神様にお参りした。冬に行事があったところでは火を焚いて行ったことから、火祭り講、ヤマノコドンド、サギッチョなどとも呼ばれた。挙母地区、上郷地区、高岡地区では、12月に火祭りとして行われ、小学校1年生から6年生あるいは中学校1年生までの男の子が参加した。子どもたちを取り仕切ったのはオヤカタ(親方)、タイショウ(大将)などと呼ばれた年長者で、特定の家を宿として集まり、食事をともにして寝泊まりした。お金や焚き物は子どもだけで集め、夜になると空き地にうず高く積み上げた焚き物に点火し(写真:挙母地区)、熾火でアズキメシを焼いて食べた。近隣の地域と焚き物の大きさを競うのが子どもたちの楽しみだった。〈年中行事〉


『新修豊田市史』関係箇所:15巻707・749ページ、16巻638・681ページ

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