祐専寺本堂

 

(ゆうせんじほんどう)

【建築】

畝部東町(上郷地区)。寺の沿革に関する記述は、寛政12(1800)年以降の記録によるもので、それ以前の記録は宝暦(1751~64)の頃の度重なる洪水の為に流失したものと考えられる。この寺の建物もそれ以後、順次建立されたものとなる。寺地は東面しており、本堂の南に薬師堂(棟札より安政3年10月上棟)があり、渡り縁でつながれている。本堂の建立年代は、様式的にみて18世紀末とみられる。建物は、桁行実長9間、梁間実長8間半、入母屋造、桟瓦葺で、前面に向拝1間(実長3間)が付く。軒は一軒半繁垂木。間取りは、堂前半の間口6間、奥行2間半を外陣、その奥1間を矢来内とし、外陣の正側三方に1間幅の広縁を廻らし、正面中央に向拝と木階3級を設ける。堂後半は、中央の間口3間を内陣、その両脇に間口2間の余間を配し、ともに奥行3間で、その内の背面半間に脇仏壇と余間仏壇を設ける。余間の外側には間口1間の落間を配し、堂背面に奥行1間の後堂を通す。内陣は来迎柱と須弥壇を用いる後門形式をとる。柱は来迎柱2本と内陣廻り(正面除く)6本の8本を円柱とするほかは面取角柱である。床高は余間を上段、内陣を上々段とする。虹梁は落縁・広縁境の柱間、矢来内正面の柱間、外陣内梁行の柱間、脇仏壇・余間仏壇正面の柱間、来迎柱の柱間に渡し、外陣内梁行と矢来内正面の虹梁上に丸彫り彫刻を載せる。外陣外廻りは柱間には正面中央3間に双折桟唐戸と障子、側面の前端1間に両開き板扉を吊る。内陣および余間正面は柱上に出組斗栱と波彫の板支輪を配し、内法上に天女や宝輪の高肉彫欄間を嵌め、柱間に双折巻障子を吊る。内陣・余間境では柱上に出組斗栱を載せ、内法上を小壁とし、下を開放する。天井は広縁を鏡天井、外陣と矢来内を格天井、余間を小組格天井、内陣を折上小組格天井とし、落間と後堂を棹縁天井とする。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻73ページ