祐蔵寺本堂・山門

 

(ゆうぞうじほんどう・さんもん)

【建築】

幸町(上郷地区)。祐蔵寺は浄土宗に属し、本堂は寺伝によれば宝暦13(1763)年に再建したという。本堂(写真)は、桁行3間(実長5間)、梁間5間、寄棟造、桟瓦葺、南面して建つ。軒は一軒疎垂木、正面に一間向拝を付し、背面には実長1間半の下屋庇を増築している。間取りは、前端の間口3間(実長5間)、奥行1間を広縁、その奥に奥行2間の外陣を配す。外陣の後方中央に間口1間(実長2間)、奥行4間(実長3間)の内陣を配し、その両脇は間口1間(実長1間半)、奥行1間の脇の間、さらにその後方を奥行1間の位牌の間とする。正面、西側面に濡縁を付し、正面に木階四級を設ける。向拝の柱は粽付の几帳面取角柱で、礎石・石製礎盤上に立ち、柱間には頭貫虹梁を渡して、端に象鼻を出す。柱上には連三斗を置き、中備は無く、主屋との間に海老虹梁を渡す。主屋の柱は来迎柱を円柱とする以外はすべて面取角柱、正面の柱間には縁長押・敷居・内法虹梁を入れ、ガラス戸を入れる。内法上中央には結綿付の角束を立て、飛貫を通して漆喰小壁を設ける。正面の内法虹梁、両側面の敷鴨居に3本溝が彫られ、板戸2本と障子1本を入れていたと考えられる。外陣正面の柱間は無目敷居と内法虹梁を入れ、虹梁上に束、漆喰小壁を設ける。内法虹梁は中央間を一段高くし、両端を持送りで支える。広縁内部も外陣内部も柱上には斗栱を用いず、天井は棹縁天井とする。内陣正面は柱間を実長2間とし、無目の上段框と内法虹梁を入れ、内法上に結綿付角束を立て、透かし彫り入りの板欄間を嵌める。虹梁には2本溝が彫られている。脇の間正面は、無目の敷鴨居と内法虹梁を入れ、内法上は漆喰小壁を設ける。位牌の間正面は無目の上段框と内法虹梁を入れ、柱間を開放し、内法上に漆喰小壁を設ける。脇の間および位牌の間と内陣との境には、柱間に無目敷居と鴨居を入れ、内法長押を通す。脇の間は床高を外陣と同高とし、内陣と位牌の間は床を上段とし、各室とも畳を敷詰める。脇の間、位牌の間は棹縁天井。内陣の後方中央に粽付円柱を立て、これが旧来迎柱であり、現在は柱間を開放している。柱上には台輪を載せて木鼻を出し、拳鼻・実肘木付の出組斗栱を載せるが、頭貫・台輪を柱の内側で切断し、柱間の貫も板壁も取外されている。来迎柱は半間後方の角柱となり須弥壇が設置された。この須弥壇は昭和13(1938)年に遍照寺から移設された。来迎柱の両脇柱間は、無目敷居と内法虹梁を入れ、内法上を漆喰小壁とする。内陣の天井は折上格天井、来迎柱上以外に斗栱は使用してない。山門は南面し、一間薬医門、桟瓦葺、一軒疎垂木である。主柱は長方形柱で礎石上に立ち、柱間に楣を入れ、上に冠木長押を置く。冠木上には男梁を載せ、軒桁を置く。冠木上には梁を載せ、板天井を張る。控柱は面取角柱、主柱後方の土台に立ち、柱上に男梁が載り、その上に桁、主柱との間は腰貫と飛貫が通る。妻は男梁上に大瓶束笈形付、束上に大斗実肘木を置き化粧棟木を受け、破風の拝みに蕪懸魚を吊る。大瓶束の絵様は古式で、18世紀初期頃の建立と推察される。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻35ページ