(ゆさよしか)
【近代】
加茂郡寺部村の遊佐家に生まれる。遊佐家は領主渡辺家の家臣で、代々普請奉行を勤める家柄であった。明治元(1868)年家督を継ぎ、渡辺家に仕え、明治3年名古屋藩士族となる。明治5年には上野山村に設立された上野山郷学校の教員(読書担当)を務めている。同7年寺部村副戸長、同11年西加茂郡書記、同17年寺部村会議員、その後寺部村外6か村戸長、寺部村村長を歴任した。明治20年代から30年代にかけて、寺部村選出の郡会議員や郡参事会員を長く務め、宇佐美喜太郎・杉田多十郎・渡辺良策らとともに、西加茂郡政に尽力した。また同5年には額田県第4大区第4小区の野神社(野口村)の祠掌を務めている。この時遊佐と同じ渡辺家家臣であり、後に県会議員や寺部村長を務める松本但郎(松本家の渡辺家家臣)も祠掌に任命されている。また明治末から大正初年にかけて、神職界の指導者としても活動した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻62ページ