(ようすい)
【民俗】〈農業〉
農業用水(水利)の水源は、自然流水・湧水、人工的な溜池、大規模な農業用水路などに大別される。市域山間部では河川から直接取水することが難しいため、山から湧き出してくる水や沢水を使用することが多かった。これらはデミズ、サワミズ、ヤマミズなどと呼ばれ、少数の家々で管理する小規模なもので、取水権も曖昧であった。溜池のない地区では、湧水や沢水の量は降雨に左右され、水不足となることが多く、かつては水喧嘩が絶えなかった。平野部でも近世以降の取水権の問題や土地の高低差の問題から、慢性的な水不足に悩まされた地域が多い。田に自然と溜まるオテンスイ(降雨)と溜池が農業水利の主体だったところでも、山間部同様、水争いが起こった。一方、平野部では排水(悪水)に苦慮した地域もあった。矢作川流域は全体に湿地が多く、ヌマダ(湿田)も作れない場所があり、大雨の後は田が一面海のようになった。平野部に特徴的な水源として、矢作川流域で利用された二次的な湧水がある。天井川である矢作川から離れた場所に浸み出す川水はシミズ、シミヤと呼ばれ、これが溜まったところをヌマチ、ヌマヂ、ドブと呼んだ。シミズは便のいいものではなく、間接的な水源であり、余剰水は悪水となった。各地区の小規模な農業用水路はイミチ、イ(ユ)、ユミゾと呼ぶのが一般的である。井堰などの付属施設と用水路を合わせてイ(ユ)、イスイと呼ぶこともある。取水口に設けられた井堰はイ(ユ)と呼ばれ、過去には石材と筵を組み合わせたものや、木製のものもみられた。現在はコンクリート製が主流である。近代以降、市域平野部では明治用水、枝下用水、愛知用水、矢作川用水などの大規模な農業用水路の開削が進み、水事情は大きく変わっていった。明治用水や枝下用水の受益地域周辺では、逢妻男川・女川の川水をポンプアップし、補助用水に使うなどの工夫も行われた。〈農業〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻102ページ、16巻46ページ