(よしかね1ごうよう)
【考古】
市域西部の保見地区白山町にあり、猿投山西南麓の一小支丘陵の東南斜面に構築された平安時代初期の窯跡。日本赤十字豊田看護大学の移転・建設に伴う事前調査として平成13(2001)・14年に発掘調査が行われ、窖窯の一部(焼成室の上端部)および灰原が検出された。黒笹14号窯式期(9世紀第2四半期)に編年される須恵器・ 灰釉陶器併焼窯で、猿投窯において灰釉陶器生産が本格化する段階の窯跡である。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻154ページ、20巻12ページ
吉兼1号窯
(よしかね1ごうよう)
【考古】
市域西部の保見地区白山町にあり、猿投山西南麓の一小支丘陵の東南斜面に構築された平安時代初期の窯跡。日本赤十字豊田看護大学の移転・建設に伴う事前調査として平成13(2001)・14年に発掘調査が行われ、窖窯の一部(焼成室の上端部)および灰原が検出された。黒笹14号窯式期(9世紀第2四半期)に編年される須恵器・ 灰釉陶器併焼窯で、猿投窯において灰釉陶器生産が本格化する段階の窯跡である。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻154ページ、20巻12ページ