(よしだし)
【古代・中世】
室町幕府の奉公衆で高橋荘地頭である中条氏の被官とみられる武士。永和4(1378)年10月16日、吉田秀信が猿投社に、一日経会の料所として5反が寄進されることを伝えた書状が現存している。この寄進主は中条氏であり、秀信は高橋荘西方政所の代官であったと見なされている。同書状の上書きには別筆で「伊保吉田殿」とあり、秀信は伊保に居住していたと推測される。なお、猿投社の修理の内容を記した、年未詳某書状に吉田武衛の名が確かめられるが、吉田氏については他に関連史料が乏しいため、詳細は未詳。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻308ページ、6巻101ページ