(よしだひでのぶ)
【古代・中世】
中条氏の被官の一人。高橋荘の北方に属する伊保(伊保町)を拠点としていたようである。永和4(1378)年10月、彼は西方に出仕して、中条氏の当主(長秀であろう)にいくつかの事案を言上し、また猿投社への寄進について命令をうけている。ここからは、西方の役所が中条氏の居館であり、高橋荘支配の中心としての政所であったことが推測できる。秀信の事蹟はこれだけであるが、当時の中条氏や高橋荘について貴重な情報を残している。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻308ページ
吉田秀信 生没年未詳
(よしだひでのぶ)
【古代・中世】
中条氏の被官の一人。高橋荘の北方に属する伊保(伊保町)を拠点としていたようである。永和4(1378)年10月、彼は西方に出仕して、中条氏の当主(長秀であろう)にいくつかの事案を言上し、また猿投社への寄進について命令をうけている。ここからは、西方の役所が中条氏の居館であり、高橋荘支配の中心としての政所であったことが推測できる。秀信の事蹟はこれだけであるが、当時の中条氏や高橋荘について貴重な情報を残している。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻308ページ