(よしのゆいしょう)
【美術・工芸】
芳野唯照は和会町田端下の真宗大谷派寺院・弘願寺の14代住職。絵画を能くし、弘願寺に安政2(1855)年制作の蓮如絵伝4幅対、明治14(1881)~15年制作の仏伝図4幅対、明治16年制作の浄土三経往生曼荼羅図、明治19年制作の羅漢図および羅漢渡海図、それぞれ制作年不詳の八大地獄・閻魔王庁・九相図10幅対、自画像、父親である12代住職了惠の肖像、息子の肖像が伝存する。同じく制作年不詳の取経僧図、釈迦十六羅漢図も画風より唯照の作と推定される。
→ 弘願寺
芳野唯照 1823~1887
(よしのゆいしょう)
【美術・工芸】
芳野唯照は和会町田端下の真宗大谷派寺院・弘願寺の14代住職。絵画を能くし、弘願寺に安政2(1855)年制作の蓮如絵伝4幅対、明治14(1881)~15年制作の仏伝図4幅対、明治16年制作の浄土三経往生曼荼羅図、明治19年制作の羅漢図および羅漢渡海図、それぞれ制作年不詳の八大地獄・閻魔王庁・九相図10幅対、自画像、父親である12代住職了惠の肖像、息子の肖像が伝存する。同じく制作年不詳の取経僧図、釈迦十六羅漢図も画風より唯照の作と推定される。
→ 弘願寺