吉原役所 

 

(よしわらやくしょ)

【近世】

旗本稲垣家が知行所支配のために吉原村(高岡地区)においた役所。寛文11(1671)年に刈谷藩主稲垣重綱三男重氏が刈谷藩領内の吉原・中根・花園・若林村(いずれも高岡地区)のうちで1500石を分与されたことに始まる。天和元(1681)年に和泉国(大阪府)に500石の加増を受けるが、元文5(1740)年、3代種信の時に中根・花園村と若林村の一部および和泉国の知行所が没収される。種信以後は知行所を変えることなく4代続き、明治維新を迎え、知行所は重原藩領となった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50ページ